PTAの理念と目的
保護者と教員が学びあうことで教養を高め、成果を家庭・学校・地域に還元すること。
児童生徒の健全な発達に寄与すること。
「父母と先生の会 教育民主化への手引き 参照」
PTAのはじまり
1897年 アメリカ合衆国で2人の女性(母親)により自発的に結成されました。
「子どもたちを健やかに育て、望ましい環境に迎え入れる」ために「母の会」を自主的につくります。
その後、母親だけでは限界があるために父親と教師も参加した「父母と教師の全国協議会」が1924年に結成され、現在のPTAの母体となりました。
PTAとはParent-Teacher-Associationの頭文字をとった略称と言われています。
日本の教育
明治時代に日本に近代的学校制度が導入された際、各学校(特に小学校)の設立・維持の経費は地方住民の負担によることを原則とした(文部省 学制100年史より)
その後、学校経費は主に町村費の負担とされていったが学校予算は必ずしも潤沢ではなかった。
そこで学校運営にかかる金銭的・労務的負担を軽減するため学校に通う児童・生徒の保護者や学区の住民によって学校を支援する任意団体も多く結成された。
これらの団体は学校の経済的支援をもっぱらとし、教育活動に関わることはほとんどなかった。
昭和10年代以降、戦争の激化とその後の混乱の影響で保護者たちによる団体の活動は一時停滞した。
しかし終戦後には荒廃した学校や教育を支える団体の活動が再び始められ、後のPTA精神を先取りするような活動や運動も各地で見られた。
日本におけるPTAのはじまり
1946年(昭和21年)の春、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の要請によりアメリカ合衆国から派遣された教育使節団によって作成された報告書が発表される。
その中にはPTAに直接言及はないもののPTA理念に及ぶ考え方が示されたそうです。
GHQはこれらの基本方針を元に総司令部の民間情報教育局と地方軍政部が担当して全国の学校へPTA(父母と先生の会)の設置を奨励・推進する。
文部省は省内に「父母と先生の会委員会」を設置して審議研究を進め「父母と先生の会―教育民主化のために」と題するPTA結成の手引き書を作成する。
1947年(昭和22年)3月、この手引き書は全国都道府県知事にあてて通達されました。
その翌年の1948年(昭和23年)4月には全国の小・中学校のPTA設置状況は7割を超えました。
つまり日本の教育の民主化を進めるために当時の文部省がPTAの結成を奨励しました。
昭和22年(1947年)から昭和23年(1948年)にかけて全国的にPTA(各学校で組織された保護者と教職員による社会教育関係団体)の結成が進みました。
PTA及び類似の団体について昭和20年代に用いられた名称としては「父母と先生の会」その他にも「親と教師の会」「保護者と教職員の会」あるいは「育友会(いくゆうかい)」など学校ごとに様々な名称が付されることもあります。
各学校のPTAの名称は各学校のPTAごとの規約により定められています。
戦前から存在した各学校の「後援会」などは「PTA」に看板を変え、あるいは地域住民を交えた団体としてはPTAとは別組織として存続していきます。
またこれまでの教職員・保護者による組織から発展させる意味でPTAにC「地域社会 Community」を加えたPTCAと称する活動も始まっています。
(日本PTA全国協議会 日本PTAのあゆみ 第一章PTAのあゆみと発展 第2章PTAの普及 参照)